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My Story about 20s

大学時代(後半)

 当時の私は、それをなぜ始めたか、なんて一切気にしていなくて、なんか興味があるからやってみる、というスタンスを取り続けていたため、大学時代後半になっても進路をしぼることが出来ませんでした。それは、良いことでもあり、ある意味リスキーなことでした。世の中のことをよくわかっていなかったり、常に焦っていたり、周りの評価が気になったりしていて、結構追いつめられていた印象を受けます。今考えると、自分が何をやっているかをもう少し理解出来ていれば、もっと具体的な形にすることが出来たのかなぁと思います。

 あとは、自分がやってきたことに自信がなくて、迷っているばかりで相談することが出来なかったのもよくなかったなあと思います。私は、自分以外の世界を知らなかったから、もし迷ったときに、道しるべとなる安心基地みたいなところがずっとなかったと思っていました。しかし、ある時、阿部先生に「恵美ちゃんは、いつも結果ばかり話すけど、そういうときは相談してね」と言われてハッとしました。私は、私自身の意思で、自分の殻に閉じこもっていました。オープンに好きなことを話すと、引かれる経験もしてきて、自分の考えを人に話すのがとても恐ろしくなったからです。しかし、それは違っていた。これからは少しでも先生孝行が出来るようになりたいなあと思っています。

 人生において、尊敬出来る師匠がいることは、心の励みになります。師匠の言葉の本当の意味を理解するためには、時間がかかることです。その場ですぐにわかることもあれば、10年理解出来ずにその時を待つ必要が出てきてたり、また、そのときすぐにわかっても、違う意味だったんだ、とわかることも出てきます。なので、師匠や信頼出来る人から頂いたアドバイスは、出来るだけ覚えてストックしておいて、その場で解決しすぎないことも必要になると今の私は感じています。

 これがとても難しかったです。なんでもその場ですっきりしたい、すぐ解決したいという風に考えていましたが、それは、簡単な答えを出す(既に答えがあるものを知る)ことだけで、本当に長い時間かかって出て来る問題や、その答えの入り口にすらたどり着いていないことがわかってきます。ですので、近頃自分の考えを話すときには、これからまた答えが変わるかもしれないけれども、今の私はこう考えたりしている、という言い方に変えることで、自分の生き方に付随した現在の最適解を導きだせるようになってきます。その最適解を持っている状態で、他の人の最適解を聞くことは、本当に好奇心が刺激され楽しいことです。他人の最適解が沢山集まるほど、新しい問いと最適解にたどり着ける可能性が高くなることは、生きている実感にも繋がります。

 話を戻します。2年生の後半から、現代音楽に興味を持ちはじめ、先輩の特殊奏法を真似したり、曲を吹き始めたりしていました。木ノ脇先生に、バスフルートの曲のレッスンを受けたりしていて、作曲家からの新曲初演の仕事を受けるようになりました。3年生では木ノ脇先生に師事しました。

 作曲科に友達が出来て、見る世界が広がりました。私はフルート演奏を、楽器からの観点からしか見られませんでしたが、作曲家からの考えや思いを聞くことで、作曲家が何を考えてどう表現したのかがわかるようになってきました。

 そうすると、不思議なことに、今まで練習してきたバッハやモーツァルトやその他作曲家の曲さえも、フルートだけ吹いていた時より、よくわかるようになってきました。逆に、作曲家がフルートの記譜について迷ったときに、演奏家はこう書けばこう吹くよ、と話し合うことが出来るようになりました。

 逆に、フルート演奏に対して「これから現代奏法出来る人が沢山出てくると思うから、私がやってみて出来るなら、私じゃなくても出来る人がやればいいんじゃね?」と思ったし、「フルーティストは作曲しちゃいけないの?そのスキルは磨いちゃいけないの?やってみちゃいけないの?出来ないものなの?」とも思いました。

 たまたま出会った作曲家の先輩からミュージカルの仕事の楽譜書きを探していると聞いて、私はその仕事を受けることにしました。作曲からの視点で物事を見ることや総合的に譜面を書けるようになることが必要だと思ったからです。

 私の叔母が、演奏する度に脱毛をするのは大変だからと、当時高価だった脱毛代をプレゼントしてくれましたが、私は叔母に、「脱毛もしたいけど、今はパソコンとプリンターが欲しい」と話し、パソコンを購入しました。(とても高かった!)その頃はフィナーレというソフトを使って仕事をしますが、学校やその他の用事から帰ってきたら、夜中に打ち合わせをして仕事をはじめるような生活に代わりました。

 フィナーレが使いこなせるようになると、自分でネタになりそうな曲を探してフルート4重奏に編曲をするようになりました。それを学校へ持って行ってフエ部屋で人数が集まったときに吹いてもらえるからです。当時は、アレンジをすることに手一杯で、完成した物を吹いてもらって実際の音にすることがとても楽しみでしたし、そのうち作曲家にもアイディアを聞けるようになったことで、メロディの入れ方も工夫出来るようになりました。

 また友人から仕事が入ったのは、吹奏楽の譜面をデータに書き起こす作業でした。期間は2ヶ月くらいありましたが、忙しさにかまけ、最後の3週間くらいで仕上げました。眠る時間もなかったので、限界になって練習室の床で寝ていると、サックス科の同級生に「恵美子!!恵美子!!」と倒れていると思った私にびっくりして話かけてくれたこともありました。

 

 そうしているうちに新曲初演の機会が増え、学内演奏会や卒業演奏会の準備もありました。

 4年目は中野富雄先生に師事しました。先生は言わずと知れた超一流のオケプレーヤーで、先生の音色は艶があり美しく、近くで聞いても遠くで聞いても、安定感のある美しさです。とくにモーツァルトのコンチェルト2楽章の演奏をレッスンで吹いて頂いた時は、今までの2楽章の見識から脱することが出来るような驚きに包まれました。

 

また、学校のレッスンでも、1年生の時に、運がよくパウル・マイゼン先生のレッスンを受ける機会もありました。変奏曲のテーマ、オペラについての考え方を学びました。学校とは別にマスタークラスを受けることもありました。フェリックス・レングリ先生やフランソワ・ローラン先生、マチュー・デュフォー先生です。

 学内演奏会は、テレマンのファンタジーと中川 統雄さんのDark Matterを吹きました。テレマンについては、オーボエの部屋に行って、オーボエ奏者の装飾を聞いてみたり、中川さんの曲は、木ノ脇先生のCDや先輩の音源をもらったり、直接聞いて習得しました。

 卒業演奏会は、武満徹の巡りと福井とも子のA color song on Bを演奏しました。中野先生は、武満徹といえば、小泉浩先生のところに行くのがいい、ということで、先生にご紹介頂き、小泉先生のお宅に伺いレッスンに行きました。卒業演奏会の当日に、小泉先生からお電話を頂き「あなたは、どこでこの曲を吹いても、恥ずかしくないよ」と仰って頂きました。福井とも子さんのA color song on Bは当時の私には技術的に本当に難しかったです。大学院の試験には間に合わなかったので、大学院の試験はバスフルートで受験しました。

 結果的に、大学院は2次試験の学科で落ちたし、大学も英語の単位が取れずで5年生まで通いました。3年の絶望期では、心の闇も深くなり、外に出られなくなる時期もありました。当時の私は落ち込むだけで、何か壁が出来たときに、考えたりするだけで、調べたり、誰かの話を聞きに行ったりすることが出来なかったことが良くないところだと今は思います。

 大学院の受験時には、目をかけて大変にお世話になった先輩もいらっしゃったので、自分の実力のなさが本当に不甲斐なかったです。廊下を歩くと「惜しいことしたね」と先生方に声をかけられ、その理由も理解出来ていませんでした。もっと見識が広ければ、内発的な動機を作っていた気もしますが、社会人になる怖さや、将来の方向が決まらない怖さで大学院を受けていた部分もあったのではないかと思います。付け焼き刃の勉強では、到底難しいと今ならよくわかります。

 ところで、話は変わり、作曲家とのつながりが出来た頃、作曲家の方々やフルート科の先輩からのお話で、韓国の演奏会に同行したり、中国の演奏会に同行したりしました。新しい経験をさせてくださった作曲家の皆様や、先生方、先輩に心から感謝しています。中国でも、福井とも子さんのA color song on Bは衝撃だったようで、楽譜を見せてほしいと沢山言われました。

 

 それとは別に、企業イベント等で演奏するという仕事もありました。お客さんは企業の方で、舞台監督の方もいらっしゃるので、自分では、演奏家に主旨を話してスケジュールを押さえてもらうこと、譜面を送ること、ギャランティの交渉をすること、フルート演奏、編曲をしました。今までは、クラシック奏者用の譜面を作っていましたが、ポップスやジャズや音響の方々と仕事をすることになり、クラシック奏者用とメロ譜と呼ばれる譜面を書くことが必要になりました。

 その仕事で現場の先輩からお話を頂き、大阪でライブをすることになりました。大阪でのライブでは、初めてアドリブをしました。今までは、アドリブも譜面に書き起こしていましたが、本番で「ぼんっ!」と振られたら、演奏家である以上は、覚悟を決めて吹く道しか残されておりません。そして吹ききったとき、ライブ会場から「恵美子ーーー!!」という声が聞こえて、お客様が前に来て手のひらにキスをしてくれました。クラシックの演奏会ではそんなこと御法度ですが、この経験が情熱とは何かを知ったきっかけになったのではないかと思いました。

 

 そんな経験をしている最中、ある指揮者の方から、来週本番のオケのピンチヒッター要員が必要だという内容の電話がかかってきました。蓋をあけると、有名どころばかりで、準備の期間も少なく会わせは2日後くらいの感じで、とにかく本番とリハーサルの日にちを空けてほしいということで、閉店間際の楽器店に駆け込み、CDと音源を購入し、スコアで練習をしてリハーサル会場に行き、しばらくオーケストラでの演奏をすることになったりしました。

 卒業式前夜は仕事で疲れていて、当日の朝は目が覚めると遅刻寸前でした。結局濃いめの化粧をして、急いでスーツだけ着て行きました。私の大学5年間は今考えると、いい環境を作って頂いていたことに気付けず、もったいないことをしたなぁという印象があります。

大学卒業後

 こんな感じで仕事をしていたので、ジャンルがどうこうとかはもはや関係なくなってしまいました。あんなに「ジャンルに関係ないフルート奏者」、とプロフィールに書くことに憧れていたのに、実際はごちゃごちゃしすぎてシンプルにフルートを吹いている人だと書くのみになりました。ただ、自分が習得してきた道のりを、譜面に出来るかどうかという実験はしたかったことと、クラシック奏者と共演するために譜面を書いたりしました。

 そこでわかったのは、過去にコンテンポラリーをやってきたかどうかはかなり重要な位置を占めるということでした。これは譜面を読んだり心を読む技術が関係しているのではないかと思います。

 大学を卒業する前から仕送りがなくなったので、フルートの仕事をしながら学校近くのスポーツクラブでアルバイトをしながら一人暮らしを始めました。フルートや音楽に関係していない人と仕事をすることはとても面白いことでした。その他の仕事も沢山しました。

 大学卒業後の闇は深く、人生のいろいろなことについて考えるきっかけが訪れました。そして、今までに疑問に思っていたことの答えも少しずつ見えてきました。

 しかし、どこにいっても、「考えすぎだ」と言われることについて、疑問も大きくなって来たことは確かですし、何かに感動出来なくなった自分にも疑問を感じ始めました。自分の演奏にしか感動出来ない自分が少しおかしいと思いましたし、それを続けていると自分の演奏にすら感動出来なくなりました。何かに感動出来ないのはなぜなのか、この答えを探すために、少し音楽から離れて違う経験が必要なのではないかと思いました。

 フルートを高い頻度で吹かなくなることは、その業界から離れることでもあり、新しい技術に触れなくなる可能性も高まってきます。本当にリスクが高いです。私はそんな風になるのは嫌だったので、自分の人生をどう生きて行くかの究極の選択でした。どうしても広い世の中がどうなっているかや、新しい分野に飛び込んで行ったときに、どのように仕事をすればいいかを知りたかったし習得したかったのです。10年単位でリスクを背負うことはとても怖いことだったし、その後のリターンがあることかどうかさえわからないことなので、しがみついてその場にいるのか、それとも自分の心の声に正直になるのか、本当に迷いましたが自分の心の声を信じることにしました。

 しかし、不思議なことが起きました。昔は、相手が何を考えて楽器を演奏しているかがわかる程度だったのに、近頃は、人間性までわかるようになりました。そしてその人の才能もハートがあるかどうかも。これは、音楽から離れなければ見ることが出来なかった世界なのではないかな、と思います。

 何が足りなかったのだろうか、と考えると、世界の歴史や日本の歴史を知ることだったり、そこから派生して、知らないことを知ることや、見えない物をみようとすること、道無き道を進む人達の話を聞くことだったりかなぁと思います。何かの考えを言語化するのは、とても地道で時間のかかることだと思います。しかし、その訓練を重ねることで、見えないものを見ることの重要性に気がつきました。

 そして何より重要なのは、自分の心が素直になってきたことでした。心からの感謝の気持ちや、音楽を愛する気持ちが生まれ、それを聞いてくださるお客様と共有したいと思うようになりました。私はやっと人間になれたと思いました。

 そんなときに、大学時代の先生方がかけてくれた言葉が非常に重要になってきました。私の未来を予言するような励ましの言葉たちは、私を否定していたのではなく、私が今後必要になるスキルや能力を見越して、試練を与え続けてくださったのだと理解出来る日が来ました。

 感動出来る自分になることが私にとって非常に重要なファクターであることは、それ以降の経験で、(正しいかどうかではなく)理解出来るようになりました。

 

 

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