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幼少期

   私は生まれつき体が弱く、アトピーと小児ぜんそくで苦しい幼少時代でした。発作が起きると大変なので、白くて苦い薬を飲まなければなりませんが、どうしても嫌で飲まずにいて発作が起こり入院するという、両親をひやひやさせたり心配をかけてしまうことが多々ありました。

   幼稚園に入る前から、強い体を作るために、スクールへ通い水泳や運動をしていました。

 幼稚園も月に1回位は休んでいましたが、当時の私のお気に入りの遊びは、家に入ってきた宝石のチラシを切り取って、セロテープで体に張り付け、アクセサリーをつけた気分になるという遊びでした。

   ある日、チラシの中にヤマハ音楽教室のチラシが入っておりました。楽譜が読めるようになりたい!と直感的に思った私は、母に土下座をしてエレクトーンのレッスンに通うことになりました。

 エレクトーンはとても楽しかったですが、楽譜を書くのが苦手でとても苦労しました。

 また、幼稚園では、ドヴォルザークの新世界第4楽章をメロディオン(ピアニカ)やその他の楽器で合奏する面白い試みもあり、エレクトーンを始めていた私はバスマスターを弾きました。(未だに面白い経験だったと思っており、感謝しています。)私の出身園である苫小牧マーガレット幼稚園では、沢山のことを体験させてもらったと思います。

My Story about childhood

小学校時代(前半)

   小学生になるとエレクトーンの習得期間が終わりピアノのクラスに入りましたが、小学校前半は、放課後の習い事が多く、日曜と月曜はお休み、火曜と金曜は算数と英語の塾(幼稚園の園長先生がやっていた)、水曜日はプール、木曜日は習字、土曜日にピアノとプールを習っており、少しハードな生活を送っていました。

 当時の実家には、おばの家から譲り受けた図鑑や父が持っていた本があり、人体や動物、海の生物、考古学、きのこ等に私はとても興味を持っていて、将来は学校の先生か、考古学学者や深海生物博士、きのこ博士になりたいと思っていました。(当時は学者とは何であるか、研究とは何か、博士とは何かはよくわかっていませんでしたが、新しいことを発見したりすることやもっと勉強することだと思っていました。)私が特に気になっていたのは、テレビで考古学者が、恐竜の骨は、舌で触ると吸い付く感じがすると言っていたが本当なのかとか、仮にピサの斜塔の下に骨が眠っているならどの人類が埋まっているか、という問いの解説が難し過ぎて当時の私には読めず、早くわかるようになりたい、等と思っていました。

   小学校3年生のときに、母に連れられ、緑小学校スクールバンド同好会の定期演奏会を聴きに行きました。

   その時に「白い恋人達」のフルートをソロで吹いているのを見て、ここに行かなければ!と思いました。両親を説得し、同好会の許可を得た私は、早速担当の先生の元へ行き、同好会に入りたいことを伝えると、「丹野さんは、フルート、クラリネット、サックスのどれかかな。決めてきてね。」

と言われました。最初は迷わずフルートでしたが、他のパートの先輩からの勧誘もあり、少し悩んでしまいました。

   しかし、日記を書き自問自答した結果、フルートを吹くことに決めました。

 

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